ギフテッド認定されている矢野祥さんの記した書籍を購入して読んでみたので感想をレビューしようと思います。
彼は4歳の頃、IQ145以上の学生を受け入れる私立学校の入学テストにて200を超えている事が判明したそうです。
この数値は子供用でしょうから標準偏差24だとして標準偏差15のテストのものに換算しても163以上と、非常に高い知能指数の持ち主ですね。
矢野祥さんは英才型のギフテッド
彼のエピソードを鑑みるに早くから満遍なく学問に優れた才能を発揮し、
絵に描いたような天才児・英才児といった印象を受けました。
学問だけでは無くピアノに造詣があり、リサイタルを行っているそうです。
才能もさる事ながら年齢の割に考え方や言葉遣いが大人びており、精神年齢的にも高めで(老成した雰囲気さえ漂っていて)かつ安定しているようでした。
ギフテッドとして世界に認められている彼について今更業績を語る事をこの場ではしません。
知っているはずなので
もし深く知りたいのであればWikipediaをどうぞ
ここではとにかく、IQ200の「学び」の方法を読んで感じた事を書いて行きたいと思います。
一般人とギフテッドを分かつ行動の違いが分かる
ギフテッドは普通の子と比べて何が違うのかこの本を読んで分かった事があります。
それは・・・
知識を渇望する
幼少時から難しい感じの書いてある読み物に興味を示し、様々なものを読んでいたそうです。
ふつうの子供では気にも留めないであろう食品のラベルを隅々まで読み、他商品と比較してどれを選べば最良なのかを比較したり、速読を武器に様々ジャンルの本を読んだりと知識のシャワーを浴びるごとく大量に学んでいたようです。
勉強の仕方が違う
一般の子供は授業で習った事を反復して学習して身につけますがギフテッドの子供はすでに答えを知っているといったようなイメージです。それは、既に興味のある分野を学んでいるうちにテストに出ているからです。言うなれば幼少時に神童と言われている時から小学校中学校の授業で習うような勉強内容は既に学んでいるという事なのです。
学校が好きなのでは無く、勉強が好き
一般の子供は友達が居て楽しいから学校が好きです。ただし勉強はキライというパターンが多いです。
ギフテッドは真逆で
学びが楽しいからつまり勉強が好きだから学校に行っています。
学べる環境さえあれば学校が必要だとも思っていない方も多いでしょう。しかし、日本の学校の授業では英才ギフテッドにとってはあまりに簡単なため、退屈なように感じてしまうようです。そのため学校嫌いのギフテッドも多い。ギフテッド教育の進んだ国の学校に行かせればたちまち学校が彼らにとって楽しく有意義な場所となります。
興味に忠実
ギフテッドは興味のある分野に関して広く深く学びます。
それが周りからは異常なまでの集中力がある人間に見えます。
興味が興味を呼び、結果として広く学ぶのです。
アスペルガーの、興味のある分野のみを学ぶのとは異なり、ギフテッドの場合は興味のある分野及び関連ある分野を学ぼうとするので広さが加わるのです。
興味のある分野を追求して行った結果9歳で大学生となり、社会人となった現在では医師として社会に貢献し、何かに追われる訳でも無く、好きな事で生きているとても自由な人でもあります。
勉強観、テスト観の違い
普通の子供=授業で習った事だけをやる。テストの対策に熱心
ギフテッドの子供=テストでは簡単に満点取れるが面白いと思わなければやらない。
また、非ギフテッドの優秀な生徒は先生から褒められたい、他の生徒から頭が良いと思われたいなどといった動機で勉強をしますがギフテッドは興味がある事を学んでいて結果としてそれがテストに出てきたというだけです。
ギフテッドの大半は勉強ができる風に見られたい、頭が良いと思われたいなどとは微塵も思ってないのです。
こうした心理的な違いもこの本を読んで経験則に照らし合わせてみれば分かります。
思考が好き
一般の子供は与えられた課題に対して忠実に実行します。
それ以上に考える事をする子供は少ないと言えますがギフテッドの子供は与えられた課題に対して思考に思考を重ねます。結果として自分の意見を持ち、独自の哲学を築くのです。
その他この本を読んでいて感じた事
自分の頭をお道具箱のようなものだと思っている
彼の思考に触れてみてそう思いました。
情報はツールであり、パーツのようなもの。
頭というお道具箱からいつでも瞬時に引き出して活用するイメージです。
一般人は自分の頭についてあれこれと思考をめぐらせたりする機会は少ないと思います。
大半の人間は頭が身体の一部だとしか思ってないはずです。
ギフテッドの方は意識的にせよ無意識的にせよ頭は武器だと思っているはずです。
少々の頃から普通の人よりも頭を使う事に時間を費やしてきた「頭を使うプロフェッショナル」と言い表して良いでしょう。