「天才論」著者のN.H氏から譲り受け、私(HP)が代理で執筆する事に

ギフテッドだからと言って悩むことは無い

私は、タレンテッドだと声を大にして言える。別に医者から判定を受けたわけでも無い。
何故なら、小学生時代の図工、中学生時代の美術、高校美術の授業の中で高い評価を下さったからである。
何もそれは芸術分野に留まらない。運動の面でも突出していた。こうして自分で言うのは、傲慢に受け取られるかもしれない。ただ、これらは紛れも無い事実だった。
では何故、私がこのような記事を書くに至ったか?それは、ある日の事だった。
「君には才能があるね」この他人からの何気ない言葉が数年間で自身の心の中に塵のように積もったからだ。
私は才能とは何なのか?と思い、思わずインターネットで「才能」という言葉を検索してみた。そこにはやはり、
「天才」という言葉に繋がっていた。ではその「天才」とは何なのか?
Wikipediaで見てみた。知能指数150を超える者と書いてあった。皆さんも調べてみると良い。
天才の定義は知能指数以外にも色々あるが、学力を重要な能力と見る昨今では知能指数150以上の者という定義が一番「天才」という名に相応しい定義だと私は思ったからそれを引き合いに出した。
自分は、自分の事を正直言って「天才」だとは思っていない。知能指数も標準偏差16のIQテストで大体120程度に安定しており、このぐらいのレベルなら10人に1人存在する計算になる。そう、その辺にゴロゴロいるレベルである。そう、知能面の天才な訳が無い。
ただ、私は自分で自分の事を「ギフテッド又はタレンテッド」だとは思っている。
ギフテッドの定義の一部は知能指数130以上の者という定義がなされている。
しかし私はIQ120前後。だからといって自分は非ギフテッドだと思うのは早計であり、浅はかだ。
何故なら、ギフテッドというのは神経系の特徴であり、非ギフテッド(神経が一般的な)の人でも知能指数が130以上の人間は存在するからである。
私は、天才というワードにWikipediaで衝突し、リンクを辿ってギフテッドというワードにたどり着いた。そこには、まさに私の事が書いてあった。OEというやつだ。
神経質とか感情が激しい等という特徴が見られると言う。
私はまさにそのような人間だ。繊細な神経ゆえに、時たま不自由を被る事も多々あった。
どのような不自由を被ったか聞きたい?長くなるよ?聞きたくないであろう。
そんなエピソードを書いたって読者にとっちゃ何も楽しい事では無いと思うし、長いと思われるのがオチなんで省略する。聞きたい方がいれば連絡してくれれば次回以降の記事にでも私のエピソードという触れ込みで記事を書くが。
ギフテッドかそうでないかは知能指数ではなく「神経系の特徴」で判断する必要がある。
知能指数が100でも神経系の特徴を有していればギフテッドあるいはタレンテッドかもしれないし。むしろこの場合はギフテッドというよりもタレンテッドに当てはまるかもしれない。タレンテッドの多くはギフテッドよりもIQが高くはないからだ。
ギフテッドの人間はギフテッドであり、タレンテッドである。
タレンテッドの人間は非ギフテッドであり、タレンテッドである。
つまり、ギフテッドの時点で同時にタレンテッドである可能性も高いという訳である。
神経の感受性が強いこれらの人間は一般人とは一線を画す感情反応を示すことが多い。
その人にとって人生とは、それはそれはキツいことであり、苦しいことでもある。
私自身、タレンテッドなので神経系の特徴を抱えた人間の気持ちは良く分かる。
余計な事に頭が回る考え過ぎと言われる人間にはギフ系の人間が多いかもしれない。
私も周囲に考え過ぎとよく言われたものだ。ただ何も心配する事は無い。寧ろこれは強みだ。
考え過ぎな性格というのは裏を返せば思慮深いという事だ。ならば周囲に思慮できない無神経な人間より100倍マシだと思わないか?

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